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論理哲学論考 (岩波文庫)

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  • メーカー: 岩波書店
  • JAN/ISBN: 9784003368916
  • 定価: ¥ 735
  • 売上ランキング: 8461 位
  • ★★★★

カスタマーレビュー

基本書
★★★★★2010-03-14
いままでいくつもの「論理哲学論考」がありましたが、それらと読み比べるのも一興。気軽に持ち歩くのにも最適かも。これまでの他社のものと比べて値段が安いのも嬉しい。これからの論考研究における基本書となるのでは。
日本語訳としては新しくて秀逸
★★★★2010-01-13
本書の訳はわかりやすく簡明。それは訳者の研究成果にも裏打ちされていることであり
納得がいくことである。本書と他の訳本と比べていろいろ考えたりしながら原著に当たると
さらによいであろう。

しかし困ったことがある。それは野矢氏の訳を超えた解釈の部分の限界性である。
なぜそれを叩き台に出すのかと言うと、wittgensteinは論理の重要性を説きながらも、
実際は超越的な何かを模索していたことがあげられるからである。
そこは注意が必要であろう。

是非とも次のステップへ移る一歩として捉えていただきたい。
ありがとうございます。
★★★★★2009-11-25
小6の時寝る前天井見ていたら突然初めての恐ろしさを伴う感覚に襲われました。自分は名前で呼ばれてるけど隣りに寝てる妹でもよかったのではないのか?一体なんでここにいるのか?とゆうより自分は一体何なのか?急に別の自分が生まれたようで怖かった…。以来ずっと自分は親に付けられた名前の人物であるという状況にゆるぎない違和感を持っていました。神経症だと思っていました。誰にも言わなかったし何処にも書いてなかったし。しかしこれに書いてありました、いや書いてあると感じました。生存の為の手段である事が全ての言語では世界で最も重要な私の中の何かは表現できないのでしょう。しかし私は確実に感じています。音楽が私に与える何かのように。
必読教科書というよりは参考書的ポジションかも?
★★★★2008-08-09
哲学のバックボーン無しでこれを読んで自分なりに理解してから
『論考を読む』等の解説本を読むと、多くの人は自分の考えの浅薄さに
呆れる事になると思います。かくいう自分もそうでした。

とにかくこれは普通の本ではないので、内容を理解するという観点からすれば
『論考』を直接読むよりも解説本から読んだ方がいいのかもしれません。

でも『論考』→『論考を読む』というような順番で読むと
上で書いたような恥辱と、ある種の「そうだったのか!」的な感動が味わえますので
Mな人や巷で流行の「アハ!体験」みたいな事をしてみたい人は、
ここはあえて『論考』から読んでみたらいいんじゃないかなと思います。
我々は沈黙すべきか・・
★★★★2008-07-09
ラッセルが序文で書いてるように、ウィトゲンシュタインは何も語る事は出来ないと言いつつ、この本は何かを語っている。沈黙せよといいつつ彼は沈黙しなかった(この本の後はしばらく沈黙するがゲーデルの不完全性公理に触発されてまた哲学を始める。そして彼はこの本を否定する)
 はっきり言ってしまえばウィトゲンシュタイン(Wとする)は語らないで語ることができるということを無視している。それは世界を事態の絵であるとしている時点で明白である。当たり前だが言葉は絵ではない。絵は(視覚芸術全般は)限定芸術である。(シュールレア等の現代芸術が肉体という限界インプレッションに辿り着いて絵画の歴史が終わった・・)
 だが言葉は無限芸術である。例えば・・少女がイスに座っている・・と書かれているとする、解釈は文字通り無限だ、それぞれ個人によって情景の浮かび方は違うだろうし、少女という言葉が何を意味するか、それを知らない人間もいるだろう。つまりこの文は限定をしているのではない、言葉は限定をする事はできない。それはWの言うように言葉の不完全性をしめすのではなくて、言葉の無限性を示すのである。(完全や不完全さというのは何の意味もない)
 何も正確に語れないから沈黙せよというのはハッキリ言って馬鹿げている、Wの言い方をするなら無意義だ。ラッセルやホワイトヘッド、フレーゲの推し進めた科学哲学ははっきり言ってエネルギーがない。哲学と行動が分離していて結局のところ何の役にも立たない。(科学というのはそもそも何の役にも立たない、科学というのを技術と誤解している人が多いが)数理論理学があまり人気が無く、ヘーゲル、マルクシズム、ニーチェ、実存主義という厳密でない(ただの宗教だとも言える)哲学が時代を動かしたのと対局をなしている。
 ラッセルもやがて自分の哲学の無意味さを実感したのではなかろうか・・だから彼は後生をすべてを(まったく科学的でない)平和活動などに捧げたのであるから・・科学哲学は科学至上主義を信じたがる若者の一時の熱狂でしかなかったように思われる。年をとっても科学哲学をやり続けた哲学者はほとんどいない、だいたい転向するか否定はしないが違う事をやり出すものだ。
 21世紀の社会もまた科学礼賛主義(今回はただの愚劣さが原因であるが)に支配されていてエネルギーを失っている。またニーチェのような扇動的な天才が現れて人生と哲学の一致をはかるだろうか・・しかしそのような思想はいつも戦争に終わるのである・・・・(戦争が良いことか悪いことかということはわからない。そして戦争がエネルギーをもった人間によってしか行われ得ないことも事実だ。簡単に言えばわれらには戦争をするエネルギーすらない・・人生は退屈だ)

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