グッズアーカイブ
専用サーバー設定
価格比較・グッズ情報
現代政治の思想と行動 増補版
メーカー: 未来社
JAN/ISBN: 9784624300043
定価: ¥ 3,675
売上ランキング: 111050 位
★★★★
☆
カスタマーレビュー
いままで読んだ本の中で最も優れた本 珠玉の名著
★★★★★
2010-02-01
政治学の本ではあるが、日本の政治・社会現象、特に先の太平洋戦争は何故起きたのか、どうして止められなかったのか、なぜあんなに大きな被害を生んでしまったのか、日本社会と日本人の精神構造から冷徹に分析した「戦後日本政治思想の代表作」である。そうした意味では、戦後日本人必読の書と言っても良い。この本を読むか読まないかで自分の人生が、そして日本社会も変わる!大きなインパクトを持った本である。良くぞこんな優れた政治学者が日本にいてくれた!と思う。我々はこの珠玉の宝を今後の日本社会に生かさねばならない。私も姉、祖父母が満州で逃避行の末死んでいった。2度とあの様な悲惨な時代を招かないためにも…
大学時代、「政治学」の講座で初めて読んだ。そうでもなければ読むことの無かった本である。膨大な厚さと精緻な内容で「気軽に読書」という類の本ではない。あれから30数年、様々な分野の数多くの本を読んだが、日本人にとってこれを超える「意義を持った本」は出現してないと考える。初めて読んだとき、まさに目から鱗であった。先の戦争は、「軍部の独裁が善良な国民を戦争に引き込んでいった…」という通説で理解されている。しかし、丸山真男は、そこまで流されて行った、あるいは積極的に荷担した「罪無き?一般大衆」の精神構造にまで踏み込み、日本社会の精神構造を明らかにする。
戦後65年が経過した。満州でかろうじて生き延びた母は既に他界し、従軍した父も90歳、余命幾ばくかである。しかし日本人の精神構造は、当時と一向に変わっていないことに半ば愕然とする。むしろ情報化、映像化、劇場化により、ますますメディアに影響されて、小市民化、単純化している感がする。難しい内容の本だが、大学生、高校生にもっと紹介し読んでもらうべき本である。名著「失敗の本質」と共に現在も少しも変わっていない日本社会への警告と洞察を含めて、出来るだけ多くの人に読んで欲しい「日本の良心」とでも言うべき名著である。
今まさに、この書物が求められている−危機の時代−
★★★★★
2009-05-01
昨年は言論界にとって、1つのターニングポイントだった。戦後ジャーナリズムと言論界、それぞれの巨星と呼ばれる人物を相次いで喪った。一人は筑紫哲也氏もう人は加藤周一氏であり、ともに丸山真男の影響を受け、戦後民主主義の象徴とも呼ばれる人物だった。
丸山真男の文章に初めて出会ったのは中学校の時の国語の教科書だった。著者の紹介欄を見て驚いたのは彼が作家ではなく政治学者だったことを憶えている。冷静な論理の運び方とそれを更に効果的に彩る文章としての豊かさ、に不思議な感動を覚えた。
それ以来、彼の著作をことある毎に読み返しているが、毎年の憲法記念日に記念行事のように繰り返しページをめくらざるを得ないのがこの論文集である。
誤解を恐れずにいうならば丸山真男はある意味、日本人的ではない。自らを対象化することのできた数少ないヨーロッパ的な思考様式の持ち主である。日本人の特性を一言で言うならば“ファナティック(熱しやすく冷めやすい)”と言われるが、そうした意識のあり方を近代社会或いは第二次大戦時の政治行動から分析し、そこと現在の間に横たわる断絶と連続、そしてあるべき道筋を模索しようとしている。そこには市民革命を経験しない特殊性、それを支えてきた“お上”の意識、など現在も姿形を変えてしぶとく生き残っている妖怪のような残滓が色濃く影を落としていることは疑いもない事実である。
憲法記念日、この国の行方に想いを馳せながら丸山真男の言葉に耳を傾けてはどうだろうか。そして“自らがこの国の主役である”ことの意味を自らに問い掛け、自らの言葉で表現してみては如何だろう。少なくとも“茹で蛙”をもう二度と生み出さないためにも。
「戦前への恐怖心」でのみ成立している思想
★★
☆☆☆
2008-09-16
本書は論文集なので、内容を総括的に評価したり批判したりするのは難しい。
そのため、1本の論文に絞ってレビューする。
日本ファシズム論への批判としては、西義之『誰がファシストか』にまとまっているので、ここでは、戦後日本の知識人の方向性が表れていると思われる「「現実」主義の陥穽」について書く。
まず彼は、「現実の所与性」を問題にする。現実は日々作られていくものなのに、現実を与えられたものだとして既成事実に屈伏している、としてこうした現実の側面を批判している。
これは、「既成事実への屈服」が何を意味するのかによる。「既成事実への屈服」というのが、現実に存在するものだからそれが「正しいものなのだ」という主張であるとするならば、確かにそれへの批判は正しい。ただしこれは「自然主義の誤謬」として昔から知られている。
しかし、「既成事実への屈服」というのが、望ましい状況とは言えない現実をとりあえず現実として認めた上で、そこからどのようにしてよい状態を目指そうかと模索する姿勢を指すとするならば、丸山の批判は妥当なものとは言えないだろう。彼の論は、都合の悪い現実は現実として認めるな、ということになる。だが、都合が悪いからといって現実を認めず、「これは現実が今のようになっているのが間違っているのだ」と言っていたら、政治の論議など行うことができない。政治というものは、現実に存在する「よくないこと」に対してどのように対処するか、という実践活動であり、その活動の対象である「問題」が、その都合の悪さゆえに消滅して考えてよいならば、そもそも政治論議など成立しない。
次に彼は、現実と呼ばれるものが実は現実の一面しか見ていないという点を指摘する。確かにこの傾向は多くみられるものであり、その点ではこの指摘は正しい。しかし、これは現実を正しく認識できていないという形での批判である以上、「現実として取り上げられているものが実は現実ではない」という、現実として挙げられた特定事実への批判であって、現実主義そのものへの批判としては成立しない。
彼は続けて、現実というものが、支配階級にとっての都合のよい現実でしかない、と批判する。だが、この主張は反証可能性を有するか疑問である。任意の現実について、支配階級にとって都合のいい側面と悪い側面があるはずであり、ゆえに「都合のいい現実でしかない」という批判は永遠に成立し続けるが、その批判に意味があるとは到底思えない。この手の批判は、実証不可能な陰謀論に転落するからである。
彼は西欧である事柄が推奨されているからと言って、それを論拠に日本でもそうすべきという結論は出ないと論ずる。これについては、その推奨されている「事柄」が内政にかかわるものである限り正しい。ある内政に関する事柄が正しいかどうかは、諸外国での人気によっては規定されず、まさしくその事柄自体を分析することによってのみ論ずることができる。だから、諸外国での人気を取り上げることは「関係ないことを取り上げて議論を混乱させている」がゆえに批判される。
しかし、国際政治に関する事柄になってくると話は違う。なぜなら、国際政治はまさしく他国との関係の中で政策を決めるものであるがゆえに、他国の行動は自国の国際的政策を決定する際の「関係ないこと」では全くないからである。むしろ他国の姿勢が自国の政策に考慮されるのは当然のことといえよう。そして、軍備の問題は国際政治的問題である以上、外国の行動に影響を受けるのは当然のことである。
むしろ、「外国の行動に隷従するな」というのは、丸山への批判として機能するだろう。彼は、ドイツやフランスで国民が再軍備反対の声を上げていることを取り上げ、だから日本国民も再軍備に反対しようと暗に呼び掛けている。だが、再軍備するかしないかは国際政治の問題だから諸外国の政策に影響されるが、再軍備反対の声を上げるか上げないかは純粋に国内政治の問題であり、したがって諸外国でどのような事態が起きているかはまったく関係がない。だから、諸外国で再軍備反対の声が上がっているからと言って、日本でも同じことをすべき論拠にはまったくならない。
丸山は、過去に争点になった問題を忘れ去ることを批判し、常に以前の問題にも振り返る必要があるという。確かにこれはその通りである。一度結論が出たからと言って、その問題が重要でなくなるというわけではない。
しかし、重要なのはその論じ方であろう。実際に採用された側の選択肢については、メリットもデメリットもともに顕在化される。しかし、採用されてない選択肢については、そのメリットのみに着目され美化されるきらいがある。特に、「履行不可能な理想」を対案として設置してしまえば、現実にとられる行動には必ずデメリットがあるのに対し、対案がユートピア的であるため、現実でどのような選択肢を取ろうとも、常にその選択肢を批判することができてしまう。だがこれに意味がないのは言うまでもない。だから、現実に選択されていない選択肢を考える場合には、常に「現実では得られているが、その選択肢の場合に得られていないもの」を頭に置く必要があるのである。
彼は、知識人は現実に妥協して、自分の理論を現実に歩み寄らせてしまう傾向があることを指摘し、これを批判している。
だがこの批判は妥当ではない。知識人の持つ「論」がどのようなものかによって分類し、それぞれで再反論をしておこう。
第一に、もしその理論が、「社会はこのように動く」などといった事実に関するものであるならば、現実への歩み寄りは当然の行動である。彼の論は、現実によって反証されたのだから、それにともなって彼の論は修正されるのである。
第二に、その理論が「こういう法律を作るべき」「人はこのようにあるべき」のような規範に関するものであるとしよう。しかし規範というものは、常に「これこれの状況において」という但し書きが暗黙の前提として滑り込まれている。したがって、以前の状況では「Aであるべき」であったとしても、状況が変化してしまえば「Aであるべき」とは言えなくなってしまう。ゆえに、「今」何をすべきか、という問題提起をされたならば、今がどのような状況にあるのかを考慮に入れなければ、なんら有効性のある規範的論を打ち出せないことは明らかである。そのため、現実の状況の変化に応じて自論を変化させていくのもまた当然といえよう。
また彼は、国民世論にゆだねよう、という知識人の言に懐疑的である。確かにこれはその通りだと思う。彼はメディアが甚だしく一方的である状況では、国民の判断は正しく行えないとする。これもその通りだが、少なくとも今の時点で、メディアの主力を左派系が握っているという点を鑑みるならば、おそらく彼の指摘は彼の意図とは逆向きに働くだろう。
日本人は日本人だ。
★★★★★
2006-08-26
昭和39年に生まれて 現在普通のサラリーマンである小生が 本書の読者足りうるのかと思いながら読んで見た。結論的に言うと 非常に考えさせられた。
一例を挙げよう。1951年に丸山は以下を書いている。
「国民の多数は 今なお 資源に乏しく人口過剰で軍備もない日本が今後の世界のなかで一体どんなレーゾンデートルを持つかについてほとんど答えを持っていない」
「経済的にも 軍事的にも日本が嘗ての植民地帝国時代に持っていたような 実力と威信を国際社会において 復活しうるということは殆ど考えられない」
2006年の今に上記を読むことは丸山に対してアンフェアーであろう。しかし 戦後の日本が「経済発展」をレーゾンデートルとして国際社会にのしあがったことを我々は歴史として知っている。その意味では丸山の予言は外れたのかもしれない。
しかし バブル経済の破綻の中で 経済発展は一度瓦解した。ある意味で 2000年前後の状況は太平洋戦争敗戦に続く「敗戦」だったのかもしれない。太平洋戦争後の「光クラブ」の発展と破滅は 最近のライブドアーや村上ファンドに重なって見える。
その意味では バブル後の現在 我々が「今後の世界のなかで一体どんなレーゾンデートルを持つか」という問いかけは 今なお生きている。
最近の会社のコンプライアンス問題も 戦中の軍隊の悪魔的な事件、例えば各種虐殺事件と重ねて読めば パラレルに感じる。よき企業人が会社を思って結果的に犯罪に走る姿は同じではないか。
日本人は日本人である。良しにつけ 悪しきにつけ。
グローバル・デモクラシーへ
★★★★
☆
2005-08-19
東洋を覆う世界資本主義経済の下で、明治日本は、一九世紀自由主義と二〇世紀社会主義の狭間である一八六八年に国民国家の建設を始める。それはまさにイギリスの覇権の下での自由貿易政策が停滞期にさしかかり、その後帝国主義が露骨に現れてくる時代であり、近代日本はその自由民権と社会革命の二つの流れが交叉するところに生まれ、そこで日本の近代知識人の苦悩もまた生まれた。
市民革命を経ることなくましてや天皇制国家という「国体」を護持する一方で、いかに封建的要素を拭い捨て近代化してゆくことができるのか。この問いは、明治二十年代までの自由民権運動が天皇制を中心にした国家形成(ネーション・ビルディング)の前に失速するまでのわずかな期間に福沢諭吉、中江兆民、内村鑑三、岡倉天心、そしてやや時代は下るが夏目漱石によって「国権」に対する「民権」の相克として示唆された。それは資本主義の拡大と西洋人の人種差別に直面した明治の知識人が、リベラル・デモクラシーの限界を超えて市民による自己統治というデモクラシーの普遍的原理へ帝国主義日本を如何に向かわせることができるかという根本的な問題であった。
丸山真男は二〇世紀のマルクス主義の台頭を睨みつつ、上記の思想家と同様に、社会革命で国家を廃止せよという至上命令に対してあくまで独立した個人によって一国の独立が保たれるのだという福沢の考えに固辞したように見える。それは個人の自由と必然性を国家によって両立させようとしたヘーゲルの考え方を引き継いでいるようにも見える。その意味で彼もまたナショナリストであった。
しかし、近代日本史上最大の運動とされる60年安保の経験により、丸山は明治初期のさきの民主主義者たちのラディカルな側面を継承してゆく。それは、民主主義とは一つの理念であり、議会制民主主義に依拠しながらも、自由な結社(association)を奨励し、市民の討議を活発化させることで、国家の権力を抑制する大きな力になると捉えたのだ。それは市民に根差した民主主義運動を一つの過程と捉えることでそれを権威に対して市民の自由の拡張を求める民主主義理念へ向けて完遂させることである。いわば丸山はここでヘーゲルからカントの≪統制的理念≫に回帰したのだといえる。
この丸山の選択は極めて正しかった。しかし、彼が見ていなかったことはそれがマルクスの晩年の運動の考え方と決して矛盾し合うものではなかったということだ。市民による市民の政治とはマルクスの『フランスの内乱』で示された、パリ・コミューンの姿ではなかったか。マルクスもまた若き自由民権論から彼の思想を始めている。悲劇は彼の後の社会主義者がこの自由民権を置き去りにしたところに成立したことなのである。
我々はこの両方をもって次の社会を創っていかなければならない。後年になって著者自身による貴重な注が加えられた本書には単に丸山でなく、一つの思想がつまり自由民権が社会主義に転化するその一瞬に垣間見せた可能性を照らし出している。我々もまたここから始めなければならない。それは一国家の批判を超えて世界資本主義に対する批判となる「グローバル・デモクラシー」の出発点ともなるはずだから。
このグッズもご一緒にいかがですか?
日本の思想 (岩波新書)
メーカー:
岩波書店
JAN/ISBN:
9784004120391
★★★★
☆
日本政治思想史研究 新装版
メーカー:
東京大学出版会
JAN/ISBN:
9784130300056
★★★
☆☆
忠誠と反逆―転形期日本の精神史的位相 (ちくま学芸文庫)
メーカー:
筑摩書房
JAN/ISBN:
9784480083982
★★★★★
日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)
メーカー:
岩波書店
JAN/ISBN:
9784006001285
☆☆☆☆☆
丸山眞男講義録〈第3冊〉政治学 1960
メーカー:
東京大学出版会
JAN/ISBN:
9784130342032
☆☆☆☆☆
同じテーマからグッズを探す
人文・思想
»
哲学・思想
»
東洋思想
»
日本
»
丸山真男
社会・政治
»
政治
»
政治学
社会・政治
»
社会・政治 全般
同じカテゴリからグッズを探す
☆☆☆☆☆
倫理学の地図
☆☆☆☆☆
三字経 人間力を磨く中国の道徳啓蒙書
☆☆☆☆☆
亀井勝一郎 (日本人の知性)
☆☆☆☆☆
小林秀雄 (日本人の知性)
☆☆☆☆☆
鈴木大拙 (日本人の知性)
☆☆☆☆☆
谷川徹三 (日本人の知性)
☆☆☆☆☆
和辻哲郎 (日本人の知性)
☆☆☆☆☆
“生政治”の哲学
★★★★
☆
生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)
☆☆☆☆☆
フーコー 生権力と統治性
☆☆☆☆☆
新装版 武士道
☆☆☆☆☆
完全解読 カント『純粋理性批判』 (講談社選書メチエ)
★★★★★
本居宣長『古事記伝』を読む 1 (講談社選書メチエ)
☆☆☆☆☆
精神の哲学・肉体の哲学 形而上学的思考から自然的思考へ (学芸局Dピース)
☆☆☆☆☆
聖なるかがり火
☆☆☆☆☆
魔術師たちのルネサンス 錬金術からコスモロジーへ
☆☆☆☆☆
わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書)
☆☆☆☆☆
日本と道教文化 (角川選書)
☆☆☆☆☆
「食べる」思想 ~人が食うもの・神が喰うもの
☆☆☆☆☆
カイエ・ソバージュ
キーワード検索
▼カテゴリを選択して下さい
おもちゃ・玩具
DIY・工具
ゲームソフト
キッチン・生活雑貨
家庭電化製品
美容と健康・ダイエット
DVD・ブルーレイ
靴・鞄
腕時計・バッグ
スポーツ・アウトドア
ミュージックCD
本・和書
ホビー・フィギュア
ベビー・赤ちゃん
PCソフト
本・洋書
ファッション
ビデオ
成功ノウハウ情報
65089人が成功したプロが伝授するあがり症克服法
芸能事務所も採用している自宅で簡単に出来るバストアップ豊胸法『B-UPガールズ』
借金地獄からの生還!人生大逆転した私の方法!29800円