竹内まりやの「Denim」は、僕の中では、もはや伝説の名盤である。
僕が思うに、「人生の扉」にはモノトーンの秩序があり、定型詩の美しさがあった。じんわりと心に沁みる落ち着いた曲だった。
この詞だけど、定型詩の美しさは英語の部分が顕著である。
I say〜,You say〜,And they say〜,But I 〜
を繰り返す。わたしは言う、あなたは言う、また彼らは言う、だけどわたしは。。。と言う逆説めいた作り方だった。
「Denim」というアルバムは、五十路を過ぎた竹内まりやの「青い鳥」を描いた作品だと僕は思っている。「青い鳥」の童話は、ごく一般的な理解では、魔法使いのおばあさんがしあわせの青い鳥は遠いところにあるのではなく、すぐそばにあるけど、なかなか気がつかないのだとチルチルとミチルに教えた物語である。
「Denim」には、ライナーノーツがない。それはアルバムに収められた12の歌が、私小説といった趣を持っているためだ。いわば解説文は蛇足であり、われわれが感じたままでいて欲しいと彼女が願ったからだろう。歌詞の前に、序文が書かれている。
「このアルバムの12の歌の中に、どれかきっと、皆さんの今の気分に合うデニムが見つかることを願っています。」と、序文は結ばれている。
カバー曲の「君住む街角」から、ラストの「人生の扉」までの配列には、自明だが、意味があるに違いない。僕の仮説「青い鳥」論は、ニ曲目の「スローラブ」の歌詞からの連想である。
「Slow down 立ち止まってみて 君が探している大切なものは
Slow love あまりに近くて 見えないだけの青い鳥かもね」
序文が書かれた歌詞カードには、彼女のスナップ写真が数多く収録されている。どれも伝統的で、見事な瓦屋根の日本建築の室内だ。すべて同じ場所だった。たぶん、彼女の実家の老舗旅館「竹野屋」だと思う。出雲大社まで、徒歩一分だと旅館のHPに書いてあった。
スナップ写真では、二階の縁側の手すりに足を乗せたり、畳に足を投げ出したり、行儀はよくないのだが随分、リラックスした普段の自分が露出している。くつろいでいるなあ、という感じが滲んでいる。
「君住む街角」は、ぜんぶ英語で歌っているが、気になったのはここである。
「For there's nowhere else on earth that I would rather be
Let the time go by, I won't care if I
Can be here on the street where you live 」
彼女の対訳が載せられている。
「だって 世界中のどんな場所よりも 私はここにいたいから
あなたの住むこの通りに いつまでもずっとこうしていたいの」
ははあ、彼女はやっぱ、「青い鳥」を書いたのだと思う。実家に帰り、私たっぷりの歌詞を綴り、志してやめた英語を訳し、また英語の詞も書き、だんな様へのラブレターまでヌケヌケと書いた。山下達郎は、しあわせものである。
人生の応援歌という言葉には、潤いや味わいがない。彼女の吟味した言葉だと、風合いに欠ける。
真っ白な桜の花を見て、来年もこの人と見たいなあと思う。
でもー
♪人は皆生まれ来た 瞬間からもうすでに この海へ還ること 決められているけど(「返信」)
♪みんなひとりぼっち それを知るからなお あなたの大事さがわかるよ(「みんなひとり」)
結局、信じられない速さで時は過ぎ去ってゆき、人はみな、満開の桜を、この先いったい何度、見ることになるだろうと考える。
来年はひょっとしたらと思うから、人生は美しく輝く。
来年もまた、この人と一緒に見たいなあ、というのには希望がある。
いろいろな可能性があり、期待にたがわない一つが叶ったら、とてもロマンティックである。
いつかは途切れるのだが、それゆえ、素敵なトキメキがある。
だから、メーテル・リンクの戯曲(Lesedrama)の青い鳥は、さあっと飛び立ち、どこかへ飛んでいく。人生は応援する類のものではない。
いつもワクワク、ハラハラ、そしてドキドキするものなのだ。
たぶんそれ以上でも、それ以下でもない。
五十路も案外ナイスなんだよなあ。ホント、そう思っています。